記念館の展示

杉原記念館は、カウナスのヴァイジュガント通り30番、旧日本領事館の建物内にあります。 記念館には以下の展示があります。

命のビザ

杉原千畝とヤン・ツヴァルテンディクについて展示されています。1940年の夏に杉原が日本の通過ビザを発給した事務所が再現されています。

難民に最終目的地へのビザを提供した在リトアニアオランダ名誉領事ツヴァルテンディク氏の私物の展示も特徴的です。

ここでは彼らの執務室の雰囲気を感じ、救出された人々の物語を知る事ができます。物語は、ポーランド系ユダヤ人難民がどのようにしてリトアニアから日本にたどり着き、定住したかを描いています。それらを通して、彼らは途中でどんな障害に遭遇したのか、杉原やツヴァルテンディク以外にどのような人がユダヤ人を救ったのかについて知る事ができます。

北のカサブランカ

「北のカサブランカ:カウナス 1939〜1940」では、当時の臨時首都であるカウナスと、そこでの外交生活について展示されています。この展覧会の比喩的なタイトルは、1941年のカサブランカにおけるユダヤ人難民の状況と、自由世界の象徴であるリスボンを目指す彼らの努力を描いた、有名な映画『カサブランカ』の内容からインスピレーションを得たものです。

カウナスが 1940 年の夏に自由世界の象徴になったことを知る人はほとんどいません。1940年の夏、カウナス及びリトアニアはソ連の残酷な占領を生き延びましたが、自由の最後の一息がつくまで、リトアニア国家と在外外交官はソ連の迫害と弾圧から逃れようとするユダヤ人難民を助けようとしました。

この展示では、リトアニアにおける第二次世界大戦期の難民の日常生活、戦争難民を支援するためのリトアニア国家の努力、ナチスの占領計画によるリトアニアの領土の喪失、歴史的な首都ビリニュスの回復について語られています。ここでは、なぜリトアニア国民が杉原氏とズヴァルテンダイク氏が発行した命のビザを使用できなかったのかという疑問への答えが隠されています。

厚意の結晶

展示室の中央にはリトアニア人の諸国民の中の正義の一人、ヴィータウタス・ジャカヴィチウスに宛てられた1941年3月19日の絵はがきがあります。同じグループの一員であるジョナス・ジャヌライティスがなんとか死を免れた一方で、彼は仲間の囚人ブロニウス・ヨセヴィチウス、ヨーナス・ペトラウスカス、プラナス・シモカイティスとともに、ユダヤ人を救いカウナス第九要塞にかくまったとして1944年7月に射殺されました。

この展覧会では、ナチス占領下のリトアニアにおけるユダヤ人救出隊員たちの悲劇的な運命も紹介します。救出隊員自身も人道性を持ち避難を求めたユダヤ人を保護したために処刑されました。

日本からジャカヴィチュスに送られた絵はがきには、杉原ビザを受け取った人々が日本に到着したことが証明されています。しかし、リトアニアのソビエト占領がナチスの占領に取って代わられたとき、リトアニアのユダヤ人の大多数が虐殺されただけでなく、ユダヤ人救出者の一部も殺害されたのです