ようこそ杉原記念館へ
杉原記念館は、単なる歴史博物館ではなく、一つの署名が生死を分けた時代が時を超えて生き続ける物語そのものです。
才能あるアーティスト、ジェニー・ケーガンによって制作された展示は、繊細な視覚表現と心を打つストーリーテリングを通じて歴史を鮮やかに蘇らせます。


当記念館は、1939年11月から1940年8月までリトアニアの日本領事館として実際に使われていた建物になります。当時まさにこの場所で杉原千畝は、日本政府の明確な許可を得ることなく、ソ連の弾圧や迫りくるナチスの迫害から逃れる人々に日本への経由ビザを発給する決断をしました。
その結果、彼は2,000枚以上のビザを発給し、多くの人々の命を救いました。この偉業を称え、非営利の民間団体である杉原基金は、1999年にこの地に杉原記念館を設立しました。


タイムスリップしてきたかのような体験
当博物館は、戦間期の家屋を忠実に再現した空間であり、まるで1918年から1940年のカウナスを訪れたかのような感覚を味わえます。この時代のカウナスは創造性にあふれ、国際交流が盛んで、希望に満ちていました。歴史的な写真や物語を通じて、大きな変革の時代を生きた人々の暮らしを垣間見ることができます。
杉原家のリビングルームへようこそ
リビングルームのようなゆったりと時間が流れる部屋で、杉原家の物語に浸りましょう。ピアノの音色に耳を傾け、展示の写真に秘められた物語を発見してみてください。


戦間期の様子を間近に
この空間では、1940年代、激動の世界大戦の様子がよみがえります。戦争の脅威から逃れようとする難民たちにとって、一通の書類 ―
『命のビザ』が希望の光となりました。
ビザによって救われた人々
ナチスやソ連の脅威から生き延びた人々の写真や声を通じて、彼らがどのように生き抜き、希望を持ち続けたか思いを馳せてみてください。


勇敢な外交官たち
杉原千畝とともに、ヤン・ツヴァルテンダイク、T・H・プレストンなどの他の外交官たちも迫害を受けていた人々をカウナスで救うことに尽力しました。彼らの勇気と献身が、多くの人々の運命を変えたのです。貴重な展示品や音声資料を通じて、彼らの物語をたどりましょう。


運命を変えた決断が下された部屋
杉原千畝が、自らと家族の危険を承知のうえで、難民のために命のビザを発給し続けた部屋です。椅子に座り、当時の空気を感じながら、その状況に思いを馳せてみましょう。


厚意の結晶
展示の中心には、1941年3月19日付の一枚の絵葉書が飾られています。それは、リトアニアの「諸国民の正義の人」の一人であるヴィータウタス・ジャカヴィチウス宛のもので、彼は同胞であるブロニウス・ヨツェヴィチウス、ヨナス・ペトラウスカス、プラナス・シモカイティスとともに、カウナスの第9要塞でユダヤ人を匿っていた罪で、1944年7月にユダヤ人と共に銃殺されました。同グループのヨナス・ヤヌライティスだけが生き延びました。
この展示では、ナチス占領下のリトアニアでユダヤ人を救った人々のさらに多くの悲劇も紹介しています。人道的な行為としてユダヤ人を匿った彼らは、最終的に処刑されるという過酷な運命をたどったのです。


命のビザ
しめくくりに、自分の写真が載った「命のビザ」を取得し、歴史における危機や、決断や、勇気の意味についてもう一度考えてみましょう。